Marmalade-bomb


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どちらかといや場末の鄙びた辺り。
ようよう知っている顔でなければ、なかなかここまでは足を延ばすまい、
遅くなってからの方が人のいるコアな盛り場の、やや細い路地を入ってすぐ。
月の光もすぐ脇の街灯の明かりさえ届かぬだろう雑居ビルの足元に、
文字通り隠れ家のようなこぢんまりとしたバーがある。
車の通る街道からも離れたところなので外からの騒音は滅多に届かぬ店内は、
シックな調度で落ち着いた雰囲気にまとめられており。
今宵はまだ客の姿もないも同然、
よって話し声もない閑散とした中、
静かなジャズが空調の一環みたいに気配なく流れているばかり。
間接照明が灯す黄昏色の明るみの下、
飴色にいい艶の出たカウンターに向かい、
黒ずくめの男が独り、オンザロックのグラスを傾けている。
丁寧に使い込んでいるのだろう
帯付きの黒い帽子をかぶったままでいるのは ややマナー違反だが、
端から長居するつもりじゃあなかったか。
カウンターに置かれた陶器のスクエアな灰皿には吸い殻が幾つかねじ込まれており、
何事か考えごとでもしているものか、それとも待ち人を想うのか。
明るいように見えてこの明かりはなかなかに曲者で、
顔を上げればそこいらの役者と名乗る青二才が尻尾を巻いて逃げ出すだろう端正な顔立ちながら、
今は何かしらの物思いに耽っているようで。
繊細微妙な表情の明暗を、明るいとも暗いとも言えぬ照明がますますと曖昧なそれへぼかしている。

「…中原さん。」

そんな彼へと声を掛けた者がある。
随分と痩躯な存在で、漆黒の外套はそのままスツールの影が育ったものかと思えたほどで。
ステップを数段降りることとなる “半地下”と呼ばれる位置にしつらえられている
この店のエントランスから入ってきた気配がまるきりしなかった青年だったが、

「おう。」

先に来ていた側には特に意外な相手ではなかったようで。
少しほど背を伸ばして視線を寄越すと、そのまま隣りへとスツールを差し、
それへ従った黒衣の青年からハトメ付きの小ぶりなクラフト封筒を手渡される。
口を封するハトメを巻く細紐をほどき、書類を数枚引っ張り出した彼は、
慣れているのか革の手套をしたまま1枚1枚を繰っては、
それぞれへ記された調査報告の記述に目を通しており。
報告であれ告知であれ、携帯端末へ呼び出せる記憶媒体でという格好でないのは
紙媒体の方が確実かつ、何者かから盗み見られる恐れへの対処が容易だから。
目に見える配線でつながっていなくとも、
信号に変換された情報をやり取りできる至便な機器が蔓延している昨今ながら、
それを簡便と盲目的に頼っていてはとんでもない落とし穴に嵌まりもする。
どんな巧妙な手口で想いも寄らぬ潜入を果たされているやら、
そんな危険も隣り合わせなのが今時の媒体の恐ろしいところだと、
悪鬼のようなその筋での天才の悪戯にさんざん振り回されたおかげ様、
頼んでもないのに鍛えられ、用心深くなったのが泣けてくる。
それを避けての、信頼される顔による“手渡し”であればあるほどに、
内容が厳密な守秘事項であることを示しており。

「…ほぼこれで決定だな。」

組織における最高権威者から勅命を受けた事案への、最終的な確認事項。
参与する面々への伝達も進めており、
さほど複雑な連携は構えていないが、陽動で動く班があるので
其方からの報告を受けるのに通信機器の調整があるくらいか。
さりげなくマスターからご注文はと問われた連れへ、
果汁を炭酸で割ったソフトドリンクをとオーダーしてやり、
恐縮して小さく顎を引いたのへふふと苦笑を一つ。
そんな雰囲気の延長のような静かな声音で訊いたのが、

「…構わねぇのか?」

敢えて“何が”とは問われなかったが、
芥川は双眸をやや伏せると、さして選ぶような素振りもないまま、
黒髪が載った頭をこくりと頷かせて見せた。

「察しは為されているやもしれませぬが。」

この数日は顔を合わせぬよう繕っていたし、それが不自然ではなく通じてもいる。
仕事にかかわる情報収集に限っては
あちらも彼の立場を慮みてか 強引な接触は控えてくれているようだと
いつか聞いたの思い出しておれば、

「中原さんこそ。」
「ああ。こっちは、まあな。」

似たような間柄になろう、情を掛けている相手のことを問われていると察し、
くすぐったげに問題はないと軽く躱したが。
芥川の連れとはまるきり性質も経歴も異なる少年をふと思い出したか、
何ともほろ苦そうな貌になる中也であり。

 “何とも云って来ねぇのは、こっちを気遣ってなんだろうな。”

いきなり逢えなくなるのは珍しいことじゃあない。
裏社会での跳梁という“仕事”に掛かれば連絡を取り合えないのは常の運びだし、
電話による連絡とまではいかずとも
電子書簡などでの一方的な、生存確認めいた通知くらいならどうとでもなるはずが、
それもぱたりと止まって久しい。
真っ向からの宣戦布告なんざ覚えがないけれど、
どうやらこたびは初手から “連中”が主力として参加する風向きとなっているらしいと、
競合相手の様相を探っていた手の者が早いうちから伝えて来てもおり。

 「……。」

此方の沈黙に何を感じているのやら、付き合いよく言葉を発しない芥川で。
冷徹寡黙に見えて、実は結構 豪快な破壊の君でもあり、
空気を読むよな繊細緻密なことは苦手だったろうに、
場の沈黙から機微というものを感じ取り、
付き合いよく黙したまま傍に添うてくれることも多くなった。

 ふと、どこかの埠頭からのそれか、遠い汽笛が聞こえたような気がして

それからの連想で、
ヨコハマといえばの港の全景が見渡せる、とある高台を思い起こした中也だ。
この青年にも気に入りの場所はあるようで。
共に動くことも多い中也が、外回りに出ている彼を姿が見えぬと探すと、
大概、港町を眼下に一望できる寂れた高台に佇んでいる。
かつてはこのヨコハマの底辺でもある貧民街に居て、
見下ろされるばかりだったある意味で反動か。
いやいやそんな穿ったことじゃあないようで、
ほんの先日のようにも思える数年前に 消息絶った師を探すべく、
ありとあらゆる場所を草の根分けても捜索しつくした彼が、最後に足を運び続けたのがその高台で。
そんなところからの俯瞰で人ひとりが探せたら世話はなかったが、
ヨコハマ全部が一望できそうなほどの見事な眺望に何とはなく惹かれてしまったものか、
何もかも煩わしいと思う時、苛立ちを静めたいとき、何か始めんとする直前などに、
必ず足を運ぶ場所となっているという。
“其処”はこの青年でも異能でその身を運ばねば辿り着けないような
寂れてしまっての交通手段を道ごと閉鎖された処ならしく。
だが、

 『金木犀の茂みがありました。』

それに気づいたのは、
いつの間にか共に足を運ぶようになった虎の少年が先だったというから穿っており。

 『花火見物の折だったか、
  人の目がない穴場があったらなぁと言われて、連れていったのですが。』

自分一人なら気にもしなかった。
だが、一応は一般人の敦と行動を共にするとなれば、
指名手配犯の自分は人目に触れてはまずかろと。
明るいうちの外歩きでは そんな思慮をするようになって。
足を運んでいる人の目的が明らかな、展示会や博物館と変わらない、
皆して上しか観てないから気づかれはしないと言うの、それでもと辞去する芥川だったのへ、
そんな場所があればなぁとこぼした弟分なものだから案内したらしく。
わざわざ告げずとも他者には口外することもない彼で、
だってこんな険しいところ、どうやって一般人が来れるんだよと、
呆れ半分、軽快に笑っていたと、この彼が微笑ましげに語っていたのはいつだったか。

 “まあ、いつかはこういうことでかち合う日も来ようってもんだよな。”

停戦協定なんぞをわざわざ構えていたわけじゃあない。
ただ、わざわざ目の敵にまではしないでいただけ。
先だって共闘を構えたような、片やだけの問題じゃあ済まないような脅威が迫ったならば、
看過せずに支え合うのも如くはなし…と。
そんな雰囲気が何とはなく、打ち破られぬまま続いていただけの話であり。
こたびとて、きっぱりと“敵対者”と特定したわけではないが、
語彙にせずともそのくらいは察しが付くというもの。

 “いよいよの破綻か、それともやり過ごす余地があるものか…。”

此方の方針と向こうの目的、
許容という範疇でお互いに併せ飲めるならいいが、
見過ごせぬことがきっと出て来そうな予感も重々。
無論、そうそう譲る気なんてないものの、それだと泣かせることになる子がいようと、
やや気づまりな先行きを見越し、遣る瀬無い溜息をこぼす上級幹部殿だった。




     ◇◇


相手がどこであれ、軍警経由の事案に限っては
探偵社への正式な依頼が届くのが“遅い”のもまた よくあること。
自分たちである程度手掛けたが、
こりゃあ長引きそうな案件だとか、自分たちでは手に余るとやっと判ってから
手垢をつけまくった挙句に こちらへお鉢が回って来るという流れになるためで。
資料は申し分なく揃えてやったぞ恩に着ろなんて、
よく判らない大上段からモノを言うのは
現場をよく判っていない、憲兵気質がっちがちのポンツクな年寄りだけ。
直接の通知を抱えてくる係官は、
市警や県警からの場合と同様、申し訳ありませんと平身低頭の構えでいて。
そこも計算ならいっそのことケツまくってやってもいいのだが…正義の味方がそれは流石にない話。
今回もまた そんなタイムラグ付きでもたらされた代物には違いない。
市街の風潮や何やから何となくの予感はあったのでと、
谷崎が資料を集めていたから何とか補足も間に合っているが、

 「向こうさんはもう動き出してるようだね。」

街のあちこち、肌で判るほどに構成員たちが陽動や下工作などへ駆け回った不穏な気配があるし、
その仕上げなのか、宵に起きたのが問題の社の入るビルで起きた謎の爆発だ。
それと前後してやや離れたところの商店街でも失火で炎上という騒ぎが起きており、
関係各位の数は限られているのだ、消防活動が遅れるのは明白。

「言質を取るために責任者の身が要るね。
 それと、営業活動、の全容を記した帳簿か日報。
 ペーパーレスな方針の社ならむしろ都合がいい。
 改竄しても痕跡が残るから、データベースを確保せよ。」

これらは当然、警察サイドに渡してなるものかという格好で“向こう”も狙っていよう。
しかも、握り潰すためにというなりふり構わぬ容赦のなさで。

「ヒトハチマルマル、現場に出発、到着し次第 行動を開始する。」

調査員全員を集めての最終ミーティングにて、
本日の突入にあたっての最後の打ち合わせを済ませ。
担当の各々で 連絡のための通信機の確認や、
万が一の負傷に備えての医薬品や止血帯などなど、
必要な装備や物資を整えた面々へ国木田が号令を発する。
それへと頷いた顔ぶれが、社長室から悠然と姿を現した和装の主へ視線を集めた。

「心して掛かれ。」

尽力するようという意味もあろうが、
危険な修羅場だ、自身は勿論仲間の身への意識も配り、
その場その場での判断を誤らぬよう、気を引き締め、後悔の無いよう掛かれと。
深い意味を含めた一言へ、各々で深く頷いて、
さあと社屋を後にする。
街は早くも騒然とした空気を孕みつつあったから…。



 to be continued. (18.04.28.〜)





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 *何とも重苦しい序盤です。
  シリアスは性に合わないので、もう一方のお話で羽目外ししてきますね。(こら)